【講師ver】No.12 プレールで学んだこと
<4687字>
どうも、大阪教育大学 学校教育教員養成課程 特別支援教育専攻 もうすぐ2回生の村上心優(むらかみみゆう)と申します。高校2年の9月に入塾したpreleで講師を始めてそろそろ1年が経ちます。
へっぽこブロガーの私ですが、前のレポートを除くと、つれづれにブログを寄稿するのは今回が初めてですね。独擅場だ!
とは言いつつも、ちゃんとメッセージ性のあるブログにしたいという気持ちもあります。せっかくなので、何かほんの些細な影響を与えられるようなカッコイイことを言ってみたいものですね。
非常にいろいろ迷いながら執筆しています。
とりあえず、当時から今にかけて何が変わったかを考えるために、昔の記憶を呼び覚まします。
生徒時代。いつからかもわからないくらい前から、担当講師であった岡本さんに「みゆうには講師やってもらわなあかんから、サクッと大学受かってもらって。」と言われ続けてきました。洗脳を受けていたわけです。笑
講師させてください!とお願いしたわけではない。それでも私にとってprele講師になることは決定事項でした。私にとって岡本さんの言うことはほぼ絶対です。
一年前。ちょうどこれくらいの時期(書いているのは3月末)、新歓がありました。
本当に病んでいました。
いや、ここの講師になってから病んだ回数は数知れませんが、原点にして頂点。病みがマックスだったのが新歓の前日…というかその日の明け方というか。このときの感情は、今後どれだけ長い間講師を続けたとしても、講師をやめたとしても、忘れることはないでしょう。
preleの講師になるということを受け入れがたく感じていたのです。私ごときが、なんて重荷を背負わされるんだと。
面談ノウハウ、ありますね。私は新歓の前、一晩でそれをほぼ全て読み切りました。
こんな心持ちのままで、講師として迎えてもらうわけにはいかない。何か心の拠り所となるものが欲しかった。だからずっと読んでいました。
そしたら、どうなったと思います?
講師陣の意識の高さに一層病みました。(馬鹿だなあ)
そのときの自分って、生徒目線のpreleしか知らないわけですよ。prele講師大変そう…って憂慮していたといっても、推測でしかなかったわけです。
思ってたより頑張らないといけないし、考えないといけないし、できるようにならないといけないことも多いということを悟りました。
講師になるのが不安で自信もない→成長のヒントが欲しくてブログを読む→身につけなければならないスキルの多さに絶望する→講師になるのが不安で自信もない→成長のヒントが欲しくてブログを読む→身につけなければならないスキルの多さに絶望する→…
を、一晩中やっていました。自分ひとりしかいない居間で、床にうずくまりながら泣き続け、それでもブログを読むことをやめられず、ありえないくらい苦しさに溺れていました。
あ、思い出したら悲しくなってきた…笑
研修。ほりいさんと面談ロープレのテストをして、様々なフィードバックをいただいたけれど最後、「まあ何だかんだ言ったけど、合格です。笑」と言われて「えっ?」と拍子抜けしたことを覚えています。「みゆうは実践を積んだほうがうまくいくと思う」ということも一緒に言われました。
講師になった頃から、「正直担当生徒なんて持ちたくない!このまま生徒を持てないままでも全然かまわない…」と思っていたのですが、テストに合格したときは何だかんだ「おめでとう自分」と思ったものです。
合格したとて、そこから面談ロープレをしなかったら本番を迎えるまでの間に退化するんじゃないか。そういう謎の強迫観念から、個人的にもう一回たろうさんに面談ロープレを申し込んだりしましたね…
ここからも色々波乱でした。
新たな生徒を担当することが決まる時。毎回毎回ターニングポイントですね。未だに慣れません。1年前から変わらないところです。これは生徒に振られた経験あってのことかもしれませんね。
初めて生徒を持つぞって時。担当する前に振られました。どうしようもなかったのかもしれません。それでも、もっと自分に雑談力があれば、こうはなっていなかったのかもしれないとか考えたものです。
でもそんなに驚きはしなかったし、病むほど落ち込んだというわけでもなかったと思います。それよりも、担当第一号が3年生ではなく2年生になるかもしれないということのほうが嫌でした。
初めて担当生徒を持ったとき。夏でした。先輩講師ではなく、本当の生徒を相手に面談をするのも、この時が初めてでした。毎週疲弊していました。
せっかくなのでここで話しておくと、担当を持つ前に体験期間で話していたときは「この子なら持ってみたい」「この子ならうまくやれそうな気がする」ということを実は思ったりしていました。
でも現実はそんなに甘くはない。日に日に面談での手ごたえがなくなっていきました。ある夜、たろうさんから担当替えの電話がかかってきたときのことはよく覚えています。言葉を返せず、電話口で黙っちゃってすみません。
ほんの少し病みました。でも正直な話、ちょっと安堵もしました。失敗したけど、解放されたように感じてしまって、気持ち悪かったです。罪悪感と安心感を同時に持ちました。
2回目の生徒1人目を持ったとき。やっぱりちょっと怖かったです。同じ道筋をたどるんじゃないかと怯えていました。しかし有難いことに、今もその子は私の担当です。問題児ですけどね。それでも彼なりに、毎日頑張ってくれています。
日報に担当生徒の情報が書かれているというのも久々でした。いつもそこに書かれている内容に一喜一憂(憂というより悩?)しています。
初めて2人目の生徒を持ったとき。かなり最近ですね。いよいよという感じです。1人目の生徒とは正反対みたいな子なので、今までの経験が全然活きません。難儀ですね…
まあそれでも、「悩んだり病んだりできるうちは幸せである」と最近学んだので、頑張りますよ。例えば生徒に振られたら、面談準備で悩むことも面談反省で苦しむこともできなくなります。成長の機会を全て奪われます。泣いても笑っても、ある意味今が最後かもしれないのです。
日報で一喜一悩するのは今も変わらず。このあいだ、けっこう嬉しいことがあったので書いてみますね。
日報『最近生徒の口から「みゆうさん」というワードがよく出るようになりました。チーム意識が少しずつ芽生えてきていますねぇ。』(要約)
これ。
やっと。やっとここまで来られたなと、非常に感慨深いものがありました。あまりに感慨深くてTwitterの縮小垢に日報のスクショをツイートしました。
この日報を読むまではそこまで意識していなかったけれど、「みゆうチーム」というものに対しては憧れのようなものを持っていたし、1つの目標でもありました。
面談テストに合格して、1人目を持たせてもらえることになったけど嫌って言われて、ようやく持てた1人目には「担当変えたい」と言われて振られ、3回目の1人目とはまだ続いてるけど上手くやれてるか分からなくて、それでも初めて2人目持たされて。ほんとにやっと。非常に長い道のりだった気がします。
約1年前、「1年間はあっという間やで。1年間講師したけど、まだ3か月しか経ってないような感覚やもん。」と花菜さんからは言われましたが、どうでしょう。私にとってこの1年間はだいぶ長かったように思います。
1年間の振り返り、相当端折ったつもりだったのですが、けっこう長くなってしまいました。
この1年で、責任感に押しつぶされて病むことは減りました。担当も2人いるし、生徒から名前を呼ばれる回数も増えました。
面談も、前ほど憂鬱じゃなくなりました。
生徒からは若干鬱陶しがられていますが、LINEもよく送るようになりました。それはひと昔前よりも、生徒がかわいく見えているからだと思います。旅行中には写真を送りつけました。私が構ってもらっている側かもしれません。
そもそもこうやって、自分が変われたところを数個挙げられていること自体が変化かもしれません。ネガティブ人間を地でいく私ですが、ちょっとだけ前向きになりました。
その一方で、自分はこの1年間で本当に変われたのかなあ、成長できたのかなあという思いもあります。こういう気持ちを抱くのは、いつになっても苦しいですね。どうしたらいいかわかんない。
でもね、この1年で、周囲の講師さん方にたくさん言葉をもらいました。
悩んでも無駄だ、と一蹴された日もありました。
難しく考えすぎだ、とも言われました。
きっとこれから楽しくなるから、って何度も言われました。
大丈夫、って励ましてもらった日もありました。
じゃあこうしよ!って助言をもらった日もありました。
只管私の話を聞いてくださった日もありました。
ほんの些細な成長を認めてもらった日もありました。
たくさんたくさん、助けてもらいました。
私が今日という日を何とかこういう形で迎えられているのは、その支え一つ一つに凭れまくって生きてきたからです。
いちばん病んだ1年前のあの日の私は、その時の心境を「水を求めて、蜃気楼に一喜一憂するどうしようもない砂漠の旅人」のようだと言っていました。(私は病むとTwitterでポエマーになる)
でもここは砂漠ではありません。水どころか食料もあるし、道標もありました。1年を通して気づきました。
この春から、新講師陣が働いてくれますね。こんな私にも、後輩ができるみたいです。先輩です。
prele講師として1年間過ごしてきた私にできることって何なのか。少しずつ考えるようになりました。
このブログで何が伝えられることはあるのだろうか。考えました。
いちばん大きいのは、「私を反面教師にしてほしい」という思いです。
必要以上に自分を責めて苦しんで、絶望に咽び泣くのは、私だけでいいんです。
明るい未来が想像できなくても、自分を信じられなくても、何だか頑張り切れなくても、劣等感に苛まれても、大丈夫。たいていの苦難は、私含め誰かが経験しているものです。
これから講師をするにあたって、今後多くの「期待」をされることでしょう。
嬉しいでしょうか。不安でしょうか。
どうかその期待を、負担に感じないでください。期待は責任ではない。
自他共に認めることですが、私は圧倒的にprele講師に向いていません。理由はいろいろありますが割愛します。
それでもここにいます。受け入れてくれる人がいるから。
どうして私を講師にしたのかを岡本さんに聞きました。そしたら「その方がおもろいと思ったから」って言われました。
ここにいる人は、教室長勢も新講師勢も、きっとそうやって受け入れられてきたのでしょう。
高い理想とか、達成すべき目標とか、身につけなければならない能力とか。いろいろ考えなければいけないことはありますが、こういうことを言ってみんなに発破をかけるのは、私の役割ではない気がするので他の人たちに任せます。
せっかくpreleに身を尽くす決断をしたみんなには、健やかに生きてほしいのです。だから私はそのために力を尽くせる人間になりたい。
大層な物言いをしてしまっていますが、そんな重く捉えないでください。要らぬ悩みを抱えながら化粧も落とさず床で寝てしまうような生活は送らないに越したことはないってことです。
ほんま「どの口が言うてんねん」案件なんですけどね。それは無視してください。
ちょっと喋りすぎた感は否めませんが、言いたいことは言えました。笑
日進月歩で、頑張っていけますように。
今年度もよろしくお願いします。
村上