【教室長ver】No.14 仕事かぁー。仕事ねぇ。

 

最近、昼から活動しがちな岡本です。

ほんっとーに雑務が終わりません。

辛い。

 

まぁそんなことはおいておいて、前回のブログで仕事の話をしていたと思いますが。

 

ちょうど講師MTGでも話していたように、なみとりんちゃんはどんなことを考えているのでしょうか。

 

PRELEで働く。PRELEに就職する人ってどんな想いを持っているのかなと。

 

できたらみんなに共有しておこうかなと思ったので、このブログのお手伝いをしてもらいました。

 

以下二人から送られてきたものです。

 

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高田校舎で教室長やってます、米田です。

さて、今回のテーマは「自分がプレールにいる理由」


少々過去にさかのぼりますね。


私がプレールに初めて来たのは高2のセンター試験の日です。

プレールのTwitterからDMがきて、
なんやかんやで行くと塾長が1人でいました。(笑)
生徒全員受験に行っていたそうです。

そんな感じでプレールと出会って、通うようになりました。

ただ、私は誰がどう見ても問題児。

面談では岡本さん(当時担当をしてもらってました)にけんかをふっかけ、
HRは受けずに勝手に帰宅するし、
なんなら塾にも学校にも行かなくなるし…

と、まあほかにもその他いろいろ問題行動をとってきました。(笑)

中学の時に部活の先生や同級生といろいろあり、今思うと人を試してたのかなと思います。

見放されてもいいなと思って好き勝手行動してきたわけですが、
なんとプレールの講師&同級生はなんやかんや許しくれたんですよね。

まあそんな君でもいいよといってもらえたような気がして、
すっかりプレールが私の居場所になりました。

 

中学生、高校生は思春期ということで、
病むし、悩むし、情緒不安定だしめんどくさい生き物です。

でも、その人の中で大切な仲間・居場所・考え方ができる期間だとも思います。
私はそんな思春期の生徒たちに、


居場所を与えたい


そう思って日々プレールで働いています。


自分を認めてくれる人がいる、場所があるというのは心の支えになります。
自分が当時の講師にたくさんかまってもらったように、
今度は自分がみんなの居場所を作ってあげたいなぁと。


この大学生活4年間、プレールに関わる中で
「自分はなぜプレールにいるのか」
このことは何度も考えました。

働き始めたときは「大好きだったプレールに恩返しがしたい」
ただこの思いだけで働いていました。
4年たった結果、
「自分の居場所を作ってくれた、昔も今も大好きなプレールで、みんなの居場所を作る」
となりました。
初期に比べて想いがちょっと具体的になった程度ですね。(笑)


新しく働こうと思ってくれている人
いつまで働こうかなと迷っている人
就職を考えている人…

いろんな人がいると思いますが、
みんなの考えていることをプレール講師たちはきっと応援してくれます。

想いにいい悪いはないと思います。
だから、みんな自由に、楽しくプレールに関わっていてほしいなぁ。
そのなかで徐々に自分のやりたいことを見つけていってほしいなぁと思っています。


以上、私がプレールにいる理由でした!

 

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どうも、2021年現在高田校舎の教室長させてもらってます、たのうえりんぺいです。

 

今回のテーマはざっくり

 

「自分がPRELEにいる理由」

 

 

理念みたいなものを残しておきたいなぁと思い、書いております。

今後、どんな講師たちが見るかわかりませんが笑

 

 

 

 

 

さて、

 

 

こういう時は自分の過去を話しておくと楽なので、ざっくり話していきます。

 

この前の全体MTGで聞いた人はあれです、あれ。ではどうぞ。

 

 

 

 

 

 

【保育園】

運動が嫌いになりました。ドッヂボールや鬼ごっこなど、すべてにおいて勝者と敗者が決まる感じが嫌でした。このころから、自分が引いたらことがうまく進むことを知りました。逃げ癖がついたのもこのころだと思います。

 

【小学校】

2年生から太ってた記憶があります。好きな人に告ったけど、太ってるのが理由で振られました。その体型のおかげで3年生から始めた野球では、めちゃくちゃうまいわけでもありませんでした。さらに、野球は弟の方が上手かったため、褒められる回数も弟の方が多かったです。保育園のこともあり、レギュラー争いも譲った方が楽だとも思っていました。

4年生では集団登校の班長になります。責任感から班を厳しく統率しようとするが、言うことを聞いてもらえない。人をできさせるには自分ができていないといけないことに気づくが、嫌われるのが怖く周りに合わせることを覚えました。

 

【中学校】

あるタイミングでテストの点数が急に落ちました。そこから勉強の必要性を感じて塾に入りました。その塾には本当に感謝しています。自分でも強制的に勉強をさせられたらできるようになるということを知りました。それと同時に、このままだと自分で何もできないということにも気づきました。

順調に成績は上がりましたが最後のテストで体調を崩して内申点がガタ落ち。志望校を落として高田高校に合格しました。少しできると思っていた勉強でも絶望を味わいます。

 

【高校生】

高2の時、友達同士で教え合うことによって成績を上げる経験をする。教えることに魅力を感じだしたタイミングでもあった。その後卓球部キャプテンに就任。上の立場になった責任感から自分1人で全部しようと死ぬほど頑張るも空回り。部が解散危機に陥る。ここから人を信頼して任せることを知る。結果、個人団体ともに近畿大会出場。

高3のタイミングで塾を探す。強制されないとできない自分が社会で通用する気がせず、自習型の塾「PRELE進学ゼミ」に入る。ここで恩師であるPRELE創設者の岸本さんに出会います。半年間勉強して第1志望であった同志社大学に進学。人生で初めての成功体験となる。恩着せがましくも、岸本さんの作ったPRELEなら手伝いたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでを見てもらえればわかるのですが、自分はこれまで、勉強や容姿など様々なコンプレックスを抱えていました。当時は自分の存在意義がないとまで考えていました。

 

 

そうです。自信がなかったのです。

 

 

さらに「できないことは格好悪い」と考え、可能な限り自分を出すことをやめました。ヒエラルキーの高い人に合わせる、相槌や同意しかしない、自分の意見は言わない、意思決定は人に任せる。その結果、中学まではかなり生きづらかったのです。

 

 

だからこそ「なりたい自分になれる教育」に惹かれました。

 

 

 

最終的に受験生活を通して、第1志望合格という自信をつけるきっかけをもらいました。 しかし、それと同時に自信がないから、第一志望をみんなに言えないとか、本当に行きたいところはあるが失敗が怖くて少しあんぱいをせめるとかの現象がおこるのかと。

 

 

で、自分の理念というのは

 

 

 

 

自信のきっかけを作る。

 

 

それをするのに自分はPRELEが最適だと思うし、自分を囲んでくれる講師たちもそれぞれの理念をもって生徒のことを1番に考えている。めっちゃ素晴らしいなって。

 

この理念を叶えることのできるのが、PRELEだと思うから居るんですけどね。

 

 

ほんとに胸を張ってPRELEはいい塾だと言えるように、まだまだこれからも頑張っていきたいところです。

 

 

 

 

では、こんなところで。えいえいおー。

 

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